観劇記録

地点「三人姉妹」

地点「三人姉妹」-感想-

作・アントンチェーホフ

翻訳・神西清

演出・三浦基

大川朝也

地点
「三人姉妹」
8月23日(金) 19:30の回

人生で初めて触れたチェーホフ作品。
四大戯曲の内の一つを三浦基さんが演出なさっていたもの。

台本読みたいなと心から思いました。
どうやったらあんな演出が思い付くのか…三谷さんが著された本も購入したのでじっくり読ませていただきます…

地点さんの三人姉妹はフィジカルがえげつない印象です(笑)
移動は常に四つん這い、言葉を発する時はドッタンバッタンと組んず解れつ絡み合い、壁(家の壁?)をバンバン叩いたり回したり…
僕なら間違いないなく後半ピクリとも動けなくなるだろうと思うくらいの運動量。

それに加えて長ゼリフがあったり、セリフを崩して発したりと、色々考えながらお芝居を進めていたのだろうと思うと舌をまく思いです。
僕、巻き舌、できないんですけどね。ヨホホホホ。

この劇はコラージュのように色んな時系列の色んな場面が切り貼りされていて、「今」は何が起こっているのかが分かりにくいなと思った。でも何かが起きているのは分かる。トゥーゼンバフ(小林洋平さん)が決闘によって殺されたりとか。でもそんな重い出来事がまるで音楽のように軽快に流れていく。

後から調べたんですけどチェーホフの作品は「舞台上では何も起こらない」みたいらしく、僕の感じたのと一致したんかな?って思いました。

『出動する先も、待機する理由もわからない軍人ほど虚しいものはない』

「軍人」を「職業」に、「職業」を「人生」に置き換えて考えていく。

自分の人生の理由が分からず、自分がどこへ向かえばいいかも分からないのは確かに虚しい。
軍人たちは何かしたいともがき、女たちは振り回されもがく。
みんな現状を打開しようと闘っている。
そして新天地を求め「モスクワへ」と言う。

人は何のために生き、どこへ向かえばいいのだろう。
自分は何のためにここにいるのか。何のために仕事をして、生きているのか。

最近はこういうことを問われる劇をよく観る気がします。
全然答え出ません(笑)
何となくは見えてきたのですがまだまだ胸を張って言えるほどではないのは分かります。

いつになったら分かるんだろうなー
この劇を観てからはずっとそんなことを考えていました。

桜田燐

地点『三人姉妹』

舞台。上から落ちるように生える太い枝(吊り下げられている)がいくつかある。舞台上は恐らくはチョークでところどころ塗られた透明の大きな壁が一面あり、そこには白い扉が一つ。舞台端にはチョークで書かれた英数字。

終始元は透明な壁をドンドンと叩いていたけど、あれは何かを起こそうと、本能的に目覚めさせるというような意味での「起こしている」のかなと感じました。

セットである壁が押されたり引かれたり大回転したり、役者は終始誰かと取っ組み合いながら、目が合うと恥ずかしいのか悲しいのか顔を覆い四つん這いになってゆっくりと他へ移動しそれを繰り返す。

時々女の人が甲高い笑い声を上げる。それが私の中で徹底的に喜劇であると感じられた要因かもしれない。でも三人姉妹を嘲笑っているようにも見える。

取っ組み合いながらセリフを言う、つまりセリフを感じさせない、セリフが役者の体を介さない、それを狙っていたのかなと思います。でもあそこには2種類存在したように思います。

言葉では遊んでるんだけど、どうしても意味がないようには見えなかった。いやそりゃ当然そうではあるんですけど、私には自然と意味が乗っているように感じる瞬間がありました。その瞬間にすっと言葉が入るようになってきて、途切れ途切れだったり音がめちゃくちゃだったりは中盤になっても同じだったんですけど点で存在していたものが急に繋がり出しました。

人生は激的。劇的。波瀾万丈。大どんでん返し。人生は人が生きた証で、人そのものが人生というその存在証明。あの壁は人生そのもの?それとも長年すごした思い出の詰まった家?

壁から離れては引きずり戻される。壁まで。
あれはなんて言うんだろう。集落?
集落の人達は何だか出ていくことを許さない、認められないようなそんなふうに見えました。いい日旅立ち。