観劇記録

-音楽舞台劇-触覚の宮殿

-音楽舞台劇-触覚の宮殿-感想-

作・演出:あごうさとし

大川朝也

新しくできた「シアターE9 京都」で柿落し一発目。
そのシアターE9と、それをつくったあごうさとしさん。どんなお芝居を作る方なんだろうと思って観劇に行きました。

初めて観るタイプの舞台でした。
音楽舞台劇。
ヴァイオリン(池田恵美さん、入江真歩さん)と指揮者の方(太田真紀さん)の吐息。
語り部(太田宏さん)による、有機的でいてどこか無機質な朗読。
ほとんど衣服を纏っていないダンサー(辻本佳さん)と、その体にボディペイントを施していく女性(松本杏菜さん)。
そして壁面に投影される英語の字幕。

本当に、その場その空間全てを惜しげなく使っている舞台でした。

内容自体はなんとなくくらいしか分かることができなかったのですが、なんだろ、フィーリング?というか伝わってくるものが確かにありました。
あごうさんが目指している「純粋言語」に関係するものなのでしょうか…?

語り部が発した「触覚的な、自身の身体に起こったことが中心」の言葉を、舞台の真ん中のダンサーがまるで何かの儀式を行っているかのように全身を使って表現する。
そしてその語りの言葉に沿うようにダンサーの体に白いペンキが遠慮なく塗装されていく。
すると言葉に別の力が宿って自分だけの想像では決して辿り着けないような、別の感覚が襲ってくる。
僕のボキャブラリーではこの程度の表現しかできません…!
とにかく凄かった…。初体験。

不思議で素敵な体験をしました。

森本聡生

京都に出来た新しい劇場、シアターE9で上演された触角の宮殿を観てきました。新しい劇場はとても綺麗で、カフェも併設されていてとても過ごしやすく、心地の良い空間でした。また劇場内の椅子がとても座りやすくて観劇の集中を切らせるとなく70分間しっかりと作品を観ることができました。さて触角の宮殿ですが、とても面白かった。音、台詞、呼吸、光、人間、色、空間。と色々なものに触れられた時間だったと思います。ストーリーテラーのように台本を読み進める俳優の言葉、ヴァイオリン奏者。真ん中で指揮を執っている打楽器奏者。身体表現をするダンサー。ストーリーテラーの台本をめくったりダンサーとやり取りをする女性。少人数で舞台装置も決して派手ではなかったけれど、不思議な空間が作られていたように思える。また外国の方向けに?スクリーンに英語字幕が映し出されていて、日本人以外の方でも楽しめるように作られてるんだなぁと思っていたんですが、なぜか?いやどうしても英語字幕の方に意識を持っていかれる瞬間が何度もありました。聴覚情報で台本を読む声が俳優を通して耳に入ってくる。視覚情報として、身体表現をしている俳優の鍛え抜かれた身体、所作、表現が入ってくる。ヴァイオリンの音、指揮者の呼吸。十分すぎる情報があるはずなのに、字幕を眺めてしまう瞬間があったのはどうしてなのだろうか。何か、この物語を理解するうえで目に入ってくる文字情報を、たとえ日本語でなくても心のよりどころにしてしまっている自分がいた。難しい英語もあまりなく、台詞が耳に入ってくる前に字幕で話がわかってしまう。そして身体表現で更に具体的に魅せてくれる。そして指揮者、ヴァイオリンへと。なんだか情報が入ってくる順番が変だなという違和感をずっと感じていました。台詞を読んでいる俳優の言葉が時折止まる。それも違和感のあるところで止まる。初めは理解できなかったけれど、台本をめくる女性がめくるまで話は動かない。誰かに制御された言葉なのかなぁと思いました。指揮者が呼吸をコントロールしているのもそうなのか?制御されていることが多々あるように思えた。自由じゃない。でも不自由の中に自由が存在している。不思議な心持ちになる。話も二つの時代の話が交互に挟まって進行していく。俳優も初めは全身身動きができないように拘束されていてそれを台本をめくる女性によって拘束が外されていく。誰がこの場を制御しているのだろうか。どんどんどんどんわからなくって行く。クライマックスに行くにつれて、なぜだかこの劇空間が非常に原初的な場所に思えてならなかった。人間は母親のお腹の中で育って生まれていく。片一方は原初的な生に向かって行っていて、もう片一方は死に向かっているのではないのだろうか。そんな風に思えて仕方がなかった。人間にとって生と死は原初的で根源的なもの。なぜだが寂しいような嬉しいような、悲しいような楽しいような。一つの感情ではなくて、沢山の種類の感情が入り混じって行って。気が付いた時には舞台が終わっていました。