観劇記録

オフィスコットーネプロデュース 改訂版「埒もなく汚れなく」

オフィスコットーネプロデュース 改訂版「埒もなく汚れなく」-感想-

脚本・演出:瀬戸山美咲

デザイン:郡司龍彦

桜田燐

私は前から二列目の真ん中のあたりで見ていたのですが、演者さんやその空間の持つパワーというものを間近に肌で感じていました。席が近いのも相まって、間接的な立場での疑似体験をしているかのような錯覚に陥りました。大竹野さんの『山の声』をつくるまでの過程。どのようにして作品作りに導かれていったのかとか、同僚の存在、仕事の話、家族の話だとかほっこりする中で思わず笑ってしまうシーンなどもたくさんありましたが、大竹野さんの葛藤というか気持ちの整理というか心の中にある言葉に表せられないものの存在だとか、それを中心に広がる周りの人達の動揺などが見ていて心を締め付けられ、息ができませんでした。好きなことを好きに書いてくれという言葉が重なるにつれやがてその言葉は作品を見送るものでなく作品の着想を断つもの(こずえさんが言ったからというわけでなく大竹野さんの心の中にあるものに対する大竹野さん自身の思い違いのように感じました。)へと変貌していく様は、何だか大竹野さんの人柄がよく表れていたのかなという気がしました。これまで作っていた作品とは一線を画すというのが劇中の大竹野さんを見て感じ、今までの作品もそうですが『山の声』は絶対に生で見なければならないと確信しました。演者さんのパワーが私の身を纏うというか、その場に引っ張られる感覚というか、終始ハイパワーな芝居に目が釘付けでした。『埒もなく汚れなく』のように、その作品を作るまでの作家を描くという劇は私はあまり知り得ないのですが、いつもならその作品としか出会う機会が無いので、人柄を知ってなおその人の作品を知る機会があるというのはとても面白い巡り合わせというか何というか、そのように思いました。私は大竹野さんを知らないという勉強不足っぷりでしたがこうして一作家の作品を作り上げる過程というのを実際目の当たりにして、当たり前ですがその人にも人生が存在するし作品というのはその人生が存在するからこそ生まれるのだと再認識することができ、作品に対するありがたみが更に増した気がしました。その内側の人を知ったからこそ、その人を知ったのであればその人が作ったものを知りたいという好奇心が止みません。機会があれば、大竹野さんの作ったものを是非観させて頂こうと思います。

大川朝也

大竹野さんの没後10年となる今年、様々な劇団の方々で大竹野さんの作品を上演しようという企画『ぼつじゅう』の第3弾。お恥ずかしながら、大竹野さんという方を僕は存じ上げませんでした。なのでそんな方の、ある意味でいうドキュメンタリー的な作品らしいと知り「自分はどう観るんだろう?」と思っていました。まあ結論から言うとパンフレットと大竹野さんの戯曲集を一冊(お金なかったから一冊だけ)買うくらい面白かったです。面白かった…というより好きになりました。大竹野さんのことが。(もちろん、likeです。)大竹野さんの作品には家族から逃げる夫や一人になりたがる男がいつも出てくる。大竹野さん自身も周りの期待から逃げて一人になりたいとずっと悩んでいた。なのに、みんなは大竹野さんを一人にはしなかった。周りのみなさんは大竹野さんのことを心から慕っていたから。なんて影響力のある方なんでしょうか。きっとみなさん、大竹野さんの演劇に対する真摯な生き方に惚れ込んだのではないでしょうか。そして、このお芝居を上演することで、また新たに大竹野さんと出会い、惚れ込む人が増えていく。僕もその内の一人となってしまいました。劇中に登場したあの赤い人もきっとそうだったんでしょう。願わくば、僕なんかが傲慢かもしれませんが、生きておられる時にお会いしたかった。社会人として、働きながら演劇をする。ぶっちゃけこれがどれだけしんどいか。しんどすぎてたまに思うんですよ。なんで俺、演劇なんかしてるんだろって。しんどい思いして稼いだ金を、しんどい演劇の為に使う。生活はギリギリで貯金もできてない。(これは別の要因もあるだろうけど…)しんどい筈なのに、なんで抜け出せないんだ?って。楽しいからっていうのはもちろんあるんですけど、にしてもだろ、って。いや、思ってた。ですね。最近気づいたのは、自由だからなんだなと。仕事と演劇の一番の違いって、自由かそうでないかだと思ったんです。ルールや社会にギチギチに縛られる生活の中にある、唯一自由な時間。それが演劇だったんです。もうこの時間のことにを気付いてしまったら、演劇をやめれません。多分やめたら死にます。精神的に。多分ですけど。そして、これまた恐縮なことなのですが、このお芝居、大竹野さん、そして大竹野さんの周りの方々にこの考えを肯定していただけた。これからも頑張っていくための勇気をいただけた。そんな気がしました。また、このお芝居、大竹野さんへの心からの愛を感じました。リスペクトというのですかね。熱量が凄まじかった。最初は「自分はどう観るんだろう?」とか余裕ぶっかましてましたけど、段々そんなこと考えられないくらいお芝居に集中してました。例えるなら胸ぐらを掴んでぶんぶん振り回されてるような感覚。役者さんって、あれもしかして皆さんスタ○ド使いですか?観に行って本当によかったです。