稽古日誌

稽古日誌2019年9月11日その④

卯月凉生

人体を物質として分解すると、60%の水素分子・25%の酸素分子・10%の炭素分子・2%の窒素分子。残り3%はカルシウムなどの色々な物質だとか。ではここで問題です。

Q.1ヶ月で増えた3kgは何の質量でしょうか。
A.稽古中に進むお菓子と夜食。卯月です。

悔しさは一旦しまって稽古。
いつの間にか私も台本に囚われていたのかもしれません。
役者が泥沼にハマって足掻いてる時、こちら側で脱出方法を考えて口だけ出している感じになってた気がします。沈みそうな人を目の前にしたらとりあえず自分も突っ込んでいくのが理想でしょう。あえて「理想」と言ったのは本当にそんな状況に遭遇した時に足踏みするのを自覚しているからです。全滅するより生存率を上げようとするタイプなんだと思います。

“組織”を回そうと思うなら冷静なタイプは必須ですが、作品を作るなら対岸で見てないで自分も同じ沼に入って手を差し伸べれるようにならなければ。
冷静に見れるというのは己の利点だと自覚はしてるので捨てずに新しい側面を取り入れられればいいなと感じています。

などと考えてるタイミングで、遊び的なアプローチがあったので演技の輪に入ってみました。
台本練習に入ってから会話が宙ぶらりんになるのがココ最近の全体課題だったので、自分も同じ目線で見てみようと思ったのです……なんていう建前の裏、劇団に入ってからずっと抱えてた疑問の一つと決着をつけたくて。人前に出たくないくせに目立ちたがりの私との決着。人に演じてもらいたいのか自分も演じてみたいのか。

結論から言うと。
私は完全に裏方の人間でした。

「言いたい」と思って言ったセリフは一つもありませんでした。言ってる自分が気になる。周りが気になる。うまく言いたい。何かやってやりたい。この人に言ってほしい。全体としてこう動いてみてほしい。

雑念しかない。
何なら最終的には周りを引き立てたくなってしまいました。

理論で分かってることや自分が俳優に向ける言葉を実現させるのがいかに難しいか。それと、会話になってない時の感覚。見間違いかもしれないけど陽炎の端を捉えた気がしました。
目立ちたがりの私については開演前のアナウンスとかやらせてもらえれば満足するレベルだな~というのも分かりました。機会があれば影アナとかやらせてください。

それと、はしゃいでる感じなのは久しぶりだったようで。ここ最近動かなさすぎたみたいです。人との壁だけでなく、私と私の壁を作ってるのは私自身ですね!

これを書いているタイミングで7日の日誌が更新されて一部内容がかぶってる事に震えてるのですが、そろそろ限界が近づいてきたのでかぶってる猫の最後の一匹も逃がしていこうかと思います。ニャー!

藤子真帆

先日、英会話カフェへ参加してきました。
出川イングリッシュに毛が生えた程度のわたしは、
「My English is ドーン!(崖から落ちるジェスチャー)」と自己紹介したのですが、
日本の方からは爆笑を、外国の方からは「ドーン?whats?」と失笑をさらい、
主催の方からは「君いいね!」と英語じゃなく度胸を褒められました。

「台詞を覚えよう!!」と必死に、自分の台詞を何度も読み、書き取りをしていました。
でも、本日のお稽古でそれは、(わたしには)違ったアプローチだったのだと感じました。
現に、そうしても思うように台詞が入っていないのです。
もしかしたら、間違った解釈なのかもしれませんが、本日のお稽古を経て
「台詞は、最悪当日までに覚えていれば良くて、役を演じる自分の感覚の方を掴むことと、
その為に世界観を理解することと、そのために台本を読み込むこと」
の方が、大事な気がしました。

ここ数日、わたしは台詞を覚えることが「目的」になってしまっていましたが、
台詞自体が「手段」なのかもしれないと思ったのです。

わたしは、一度にいくつもの事はこなせません。
だから、優先順位をつけて取り組むことが必要で、
現時点のわたしには、台詞という手段を活かすのは、第1位でなくて良い気がしました。

それでは、何が第1位なのかというと。

様々な面で、「自分を護ろう」としてしまうスタンスの克服です。
失敗したくないとか、指摘される前に自白して指摘されないようにするとか、冒険しないとか・・・。

近頃言われなくなっていたので、「治った♪」と思っていたのですが、
本日の指摘は一貫してそれでした。

さぁ、ここで冒頭のエピソードへ戻ります。
英会話カフェへでの自己紹介、わたしは
「失敗したくない」とも「英語レベル低すぎでよく参加出来たよね、と言われるかも」とも
「笑われて恥ずかしい」とも「外国の方に失笑されて嫌だ」とも
全く思わなかったんです。
主催の方に褒められたのが度胸だったことにも、素直に「Thanks!」と笑っていました。

何が違うの??
英会話カフェとお稽古中、何が違うのかな?

思えば、さあもんへ見学に来たときにも同じ感覚でした。
「失敗が恐い」とか「カッコ悪いと思われたらいやだ」とか、全く思っていなくて、
ただ楽しんで楽しかったのです。

何が違う?

色々と理由が浮かび上ってきました。
細かいところを挙げればキリがありませんので、特に重要そうな2つを記します。

一昔前の「会社」では、
失恋した人が会社でドンヨリして、しくしく泣いていて、お仕事に身が入っていなければ
「切り替えて、ちゃんとお仕事をしなさい。」と注意されたと思うのです。
↑この内容は比喩です。
ですが、わたしはコレをやっているな、と思いました。

「演劇のお稽古」の場に、今この場に居ない、人・出来事・情景・音・時間・空間・自分の感情
などを持ち込んでいるのです。
職場の比喩を続ければ、「公私混同」というものです。
わたしの場合のそれは、「今日、あの人嫌な感じだったな」「今日のあれは嬉しかった」などと
その日の事でもなく(それにも影響はされているとは思いますが)、
たいていが、あんな事やそんな事の思い出です。

聡生主催が「役のあなたとして、その場に居てほしい。」とよく仰りますが、
そもそものわたし自身がお稽古場に居ないのだから、役のわたしとしてもその場に居られる訳がありませんね。

それを考えていると、もう一つ気づきました。
気づきましたと書きましたが、聡生主催が口を酸っぱくして仰ってくれていた事です。

あぁ。演劇って、ナマモノだったのです。

わたしはいつも、「失敗したくない」「格好悪くなりたくない」とは
本当に思っていないつもりなのです。
それなのに、なぜ自分を護ろうとするのか?

1つは、とにかく皆さんに迷惑をかけたくない。
そして、もう1つは、「指摘された事を改善しないのは怠慢である」と思っていました。

だからわたしはよく、指摘をされた際に「この前は、ああやって言っていましたよね??」と
端的に言えば矛盾点を示していました。
指摘=改善が必要という式が頭にあるからです。

でも、近頃は言われなかった「自分を護ろうとしている」という指摘を、
久しぶりに頂いた事で気が付きました。

皆さんが下さる指摘は、「その時・その瞬間の・わたし」に対してのみの指摘だったのですね。
9月11日19時に指摘されるのは、「作為的にしているよ」かもしれない。
9月11日19時5分に指摘されるのは、「台詞を理解していないね」かもしれないのです。

「台詞を理解していない」指摘の時、「作為的にしている」は改善されているかもしれない。
でも、それはただ9月11日19時5分のわたしにだけ、言える事なのです。

聡生主催が、「演劇を8年やっているけれど判らない事ばかり。」と仰っている意味が、
やっと判った気がします。

恐らく、その、ナマの一瞬一瞬を積み重ねて、同じ事を何度も何度も言われながら、
その中でも「下の下」→「下」→「中の下」→「中」・・という感じで、
螺旋階段を上がっていくものなのだろうと思いました。
ナマモノですから、もちろん、その螺旋階段を下ることもあるのでしょう。
そうしながら、自分の役者レベルの底上げをしていくのが、お稽古なのだろうなぁと感じました。

大変なものを愛してしまった。

そして、凉生さんがくれていた言葉も、勘違いしていました。
わたしはこれまで、「役に真帆自身を持ってこようとする人」をやっていました。
違いました。凉生さんの真意は、そうではなかった。
「今回の作品に於いては、一旦、台詞は借りてきて、真帆のまま発して」と。

ああっ、そうだっ!
もう一つ要因があったのです。
わたしは、1日で10kg痩せたいオンナなんです。
何でもそうですが、「今!」「すぐ!」「全部!」何とかしようと、
一足も二足も飛ばして、先へ進みたい気持ちが強いのです。

この気持ちや焦りをもっているから、かえって思うように進めていません。

お稽古日数が増えています。幸せな事です。
ですが、その分日常がこれまでとは変化しているという事。
時間をうまく使い、休むことも大切ですね。
皆勤賞で在り続けたいからこそ!