観劇記録

Dull-colored pop Vol.18 福島3部作 第一部 「1961:夜に昇る太陽」

大川朝也

公演が始まる前から周りでかなり評判だったので予約しようとしたら既にチケットは売り切れ。

その為大急ぎで劇場に駆け込んで当日券を購入した記憶があります。

2011年に福島県で起こった原子力発電所の事故を基に描く福島3部作の第1部。

事故が起こる50年前の話。

1部では穂積家の長男である孝が主人公で、彼が田舎へ帰郷する電車内から始まる。

作中で彼が語る田舎への想いは(当時の彼程ではないと思うが)同じ田舎者の僕には胸が痛みました。

そう、田舎は何もないんですよね。今でこそ僕の実家から車で1時間くらいのところには大きなショッピングモールとかあるし、コンビニも家から車で10分くらいのところにある。ネットだってあるので物資的にはある程度都会と同じものが手に入ります。が、それ以外のものは少ない。

人と人との距離が近すぎるため、周りの目がとても気になる。自分では何も決めれない。

都会より田舎の方が人が冷たいというのもなんとなく共感できます。

今の時代に生きる僕でもそう感じているから、きっと孝は相当窮屈な気持ちを持っていたと思います。

「ふるさとは、遠きにありて思ふもの。そして悲しく歌ふもの。」

胸が痛くなる歌です。

そう思いたくないけど、そうであることを否定できない。

(余談ですが、今年お正月に帰るとおばあちゃんがお年玉くれました。実家大好き。)

そうこうしていると次のシーンへ。

兄の帰りを待つ弟とその友達たち。ここでの子供たちは人形を使って表されていました。

もうそういうのめっちゃ好きです(笑)

お母さんが息子をいじめてる奴らをブン殴ったとき豚の子の首がフッ飛んだ時は「ああ、生のお芝居だ」って感じがしました(笑)

東電の人たちの話も凄く興味深く、原発への熱意が伝わってきました。

東電の人だけでなく、このお芝居に出演なされていた人全員からすごく熱意が伝わってきました。

一人一人の胸に秘めている思いをヒシヒシと感じました。

色んな考えや気持ちがあって福島に原発というものの誘致が決定した。しかし、僕たちはこの作品の登場人物たちがまるで「太陽」の様に語る原発がどうなるかを知っています。

僕がこの作品を観てから思ってるのは「事前情報の力」。ネタバレの魔力。

作者の谷 賢一さんもSNSで仰られていたと思います。

後の結果がどうなるかを知っている状態でその事件を追体験することで、小さな何気ない会話からでも想像力が膨らむんだと思います。

他の脚本とかだと、このやり方でやるならどこからどこまで情報を開示するかを考えるし、最後のどんでん返しを狙うなら逆にそれを悟られないようにしながら伏線を張り巡らせると思います。

でも福島3部作で取り扱っているものは実際に起こった事故で、表立った情報はネットやテレビで見聞きしているからその裏側の情報を開示していくことに徹底でき、作者の谷 賢一さんのもの凄い情報収集の成果が存分に現われていると感じます。

恐らく、僕を含め普通の人は、調べて知ったことの半分も脚本に載せれたらいいくらいなんじゃないかなって思ってます。これは素人の勝手なイメージですが。

また、今でも稀にニュースで観るくらい有名なこの事件を取り扱うとなった時、今ではネットを使うと表立った情報が簡単に手に入るので、脚本にする際に多くの人が知らないようなことを調べようと思うと普通より一層時間や労力が掛かるんじゃないかなと思います。本当に凄い。

劇を観て、ホロリと泣くのはありましたが大泣きしたのは初めてでした。