稽古日誌

稽古日誌2019年12月11日

藤子 真帆

気力と体力は両輪ですね。

両方ばんぜんの態勢で、本番に臨みたいと思います。

本日は、初めて「この場に居る」を、その最中に自覚出来た気がします。

無理やり言葉に表したなら、「全身に血が通っている実感がある」という感じでした。

あくまで、無理やりに表現すればですが。

本日までは、「この場に居る」とは、その場面に夢中で臨めていれば叶えられることなのかと思っていました。

ですが、本日の感覚だと、それは近いようで少し違うのかもしれません。

何故なら、本日のわたしは、「夢中」という訳ではなかったからです。

必死、ではありました。

あろうことか練習中にツボに入ってしまい、終始爆笑が抜けないまま無理やりシーンをやり通すことになってしまったのです。

それなので、たくさん思考していました。

「笑っていないで、ちゃんとやろうよわたし。というか、ちゃんとやりたいんだけどっ。いい加減にしてよわたし。」

など。

それでも、「地に足がついていた様に観えたし、悪くなかった」と言っていただけたりしたのです。

ですから、今この瞬間のわたしは、「この場に居る」って、すべてを起こるがままにしている状態かもしれない、と仮説を立てています。

これまでは、演技中に思考したりしてしまうと、「あ、この場に居ない。集中しなきゃ。」と抑制しようとしていたのですが、そうせずに、いっそ思考が流れているままにしておく。

わたしは瞑想が苦手なのですが、それをある方に伝えた際、

「無にならなくていい。思考も存分にすればいい。ただし、自力で止めようとしないこと。湧いてくるまま、流れているままにしておく。そうしていても、瞑想は出来るよ。」

と言われた事があります。

そういう呼吸なのかなぁと思いました。

本番間近。

心身のコンディションを整えていましょう。

もう、今はそれが最優先事項な気がいたします。

辻合 直澄

気づいたことがあったので稽古日誌書きます!

お凉に今回の台本においての「演技を楽しめる方法を考える」という宿題をもらっていました。ここ最近、何度やっても自分がシーンとマッチしない、流れに乗りきれない、「楽しむ」ということが出来ていませんでした。面白い台本だから面白く見せたいという気持ちがあったんです。色んなものを着飾っていたけどそれに気持ちがついていかない。そんな感じですかね。

すごく勘違いをしているのは分かるけれど、改善策が見つからなかったのですが、それは物凄くシンプルなことだと気づきました。

相手と繋がること(相手と会話する)

すごく基本なことだけれど僕が楽しむための最大の要因になるんだと思う。特に今回の台本においては。

セリフで会話するということがこんなにも嬉しく楽しいものなのかと感じました。きっと役のイメージはもう入ったはず。だからこそ素のままでいいと思えました。

それが自由、遊ぶってことに繋がるのかな?

自由にしていいと言われると何かやろうとしちゃう時があります。やってることは面白いかもしれないけど自分の気持ちを騙しながらすることは面白くない。簡単にばれますからね。素のままでやればいい。

まだ自信があるわけではないし不安定な感覚はあるけれど

とりあえず最低限は突破したと思います。

本番まで残り僅か、駆け抜けます!

桜田 燐

物事を判断する際、どうしているでしょうか?

例えば服を買う時。

         自分に似合う:似合わない

持っている服に合う:合わない

      デザインが好き:好まない

大体大半の人がこういうところを見ていると予想します。(実際自分がそう)私の場合だと

      長期的に着れる:着れなさそう

   生地が良い(好き):肌に合わない

持ってないデザイン:似たものを持ってる

っていうところも判断の一つだったりします。

服で例えてみましたが、人にはある程度、判断基準という名の物差しが存在します。物事の尺度を測るためです。それが自分にとって危険なのかそうでないのか。身を守るためにはそれを駆使しなければならないと思います。

「お嬢ちゃん、ハーゲンダッツ買ってあげるからおいで」

と言われてアホ面でひょこひょこついていくわけに行きませんから。

基本的に相手を否定する時、拒否する時というのは何かしら脅かされる予感がしているからなんじゃないかと。フィジカル的にもメンタル的にも傷つきたくないから。

危険であるか:そうでないかってのが根源、元になっているのではと考えます。

どうしたら解き放たれるかって、その危険と本能的に思っていることに対しての危険度を減らしていく。つか減らせます。危険って勝手に思ってるの自分なんで。

判断基準は人によって異なる。内容的にも単純な数としても。多ければ多いほど、それだけ正確に判断できるようになる。 我々はありとあらゆる物に対して持っている判断基準に振り回されているといっても過言ではない。おぉ、言ってみると何だかそんな気がしてきたぞ。ちゃんちゃん。

全体として、少しずつ前進しているように感じます。自分に今見えている道を、追わんと必死に縋ろうとしている。或いは違う道を見つけてみたりなど。

うん、演劇だ!