稽古日誌

稽古日誌2019年12月7日

藤子 真帆

「劇団さあもん」を人間に例えたとしたなら。
本腰が入ったようです。
新風を感じます。
変化の香りに少しでも寂しさを感じるのは、わたしがまだ一期一会を体現しきれていないから。
みなさんのことが好き。みなさんに感謝してる。
たいせつなことほど、伝えられるときに伝えておかなければ。
日常生活でも。
これは、わたしが普段だいじにしている事のひとつでもあります。

だからなのか、お稽古日誌に書こうとしていた事を、帰り道にホボホボお話しきってしまい、出せば忘れてしまうタチなので、何を書こうか思案中です。

今週は、平日のお稽古には行けませんでした。
行けなかったのは2日ですが、わたしなりに濃い一週間となっていました。
(その「濃い」部分を帰りにすっかり話してしまったというわけです)

あれからずっと、自身に「演劇とは?」を問うのがクセになっているのですが、答えはその都度変わります。
少しずつでも知っていくほどに、伝えたくなることが変わってくるのが、実体のない?演劇なのでしょう。

あ、でも。
ずばり言うなら、「演劇とはコミュニケーション。」
という考えは、しばらくのあいだ変わらないだろうと思います。
今のわたしにはそれが核にありますが、その演劇の成分については、
あの象さんのお話みたいだなぁと思います。
確か、目隠しをした数人がそれぞれ、象の脚や鼻やお腹を触ったりしていて、
誰もが「象」の事を表現するのだけれど、その人がどこを触っているのかによって
表現が異なる・・・みたいなお話がありましたよね。

本日、というか今週のわたしは
「演劇って、ヘリクツや矛盾をもつかったりしつつも、筋を通していくものなのだなぁ」
と感じています。

劇団さあもんは、演劇未経験のかたが多数です。
だから、聡生主催にしても演出の凉生さんにしても、わたしたちへの表現には配慮をしてくれていただけで、
「やろうとしている」というフィードバックを頂いたとき、要は「その演技、クサイよ。」と言われていたのだろうと思ったのです。
だから、「やろうとしている」と言われたなら、今度は別の事をやろうとしちゃえばいいのに、恐らくそここそが、演出さんの「様々なパターンを観たい」に該当するのだろうに、わたしは額面通りにその言葉を受け取っていて、「やらないようにしよう!」と決意しちゃったリしていました。

昔、バンドマンたちが音楽について語りあかしていたり、芸人さんたちがお笑いについて語りあかすらしいなんていうのを、「わたしにはそんな時間は一生来ないのだろう(飽き性なので)」と思っていましたが。
語りたいっ。演劇論は判りませんが、演劇?演技?について語りあかしたいです。
この一週間、さあもんに入団してからの半年、わたし藤子が何を思ってきたのか、語りつくしたい。
いつも、稽古日誌の枠ではとても足りません。
うーん。

悩んだ末、本日は「おっさんずラブinthesky」のお話を選びました。
わたしにとっては、時効警察と並んでちかごろの参考作品です。
(やはり、面白くないとベンキョウできないですよねっ)
今回のドラマの中で「7日目」の際に、ある所作を観て涙が出ました。
そこに至るまで、俳優さんが泣いていた訳ではないし、その所作だって、普段は(?)涙が出るような所作でもないし、その瞬間俳優さんの姿すらほとんど写ってはいませんでした。
でも、それまでのドラマの中での関係性や、その所作へのもっていきかたから、気づけば涙を誘発されていました。

こういう事だなと思ったんです。
暗い話題だから暗く話す。語気の強いセリフだから苛々して話す。こういう言葉だからこう振る舞う。
だけじゃない、部分。

本日からのわたしは、これに悩んでいきます。
「機微」。
機微。
機微。

皆さんを観ていて、気づかせて頂いたことがあるんです。
ちかごろ、ひとに「あるのに。あの時、ああいうのを見せてくれたのに。普段のあなたからは、にじみ出ているのに。」と感じる事が何度もありました。
その内に、それは自分にも言える事なのだと思ったんです。
「わたしには、引き出しなんてないよ。」と思っていましたが、わたしにも、どうやらありますね。
自覚と整理がたいへん遅れているだけで。
だから、「無いものを取りつけなきゃ」ではない。
「既に持っているものを探し出してお見せ」すればいい。
不慣れな分、これだってまだ簡単なことではないけれど、「ある」という認識と「ない」という認識では大違いだと思いました。

凉生さんからヒントを頂いての、わたしの解釈では「あぁ、若々しくって事なんだな。」と気づきがあり、それだけではないけれど、そういう事を踏まえて臨んだ本日、以前より素敵な感じになれた気がします。
もちろんまだ改良の余地はありますが、やはり、素敵な感じのシーンに出来た際、わたし自身も楽しい!

帰り道に色々とお話したりしていて、なんだかこの事がやっと腑に落ちた気がします。
「本日はね。」ということ。
本日が3ぐらい進めていたとしても、次回のお稽古では、また1から。
お出かけする際、毎度おうちから出発するようなものですね(?)。
しかも、こんなに色々と考えたり試行錯誤しているのに、次回新たな脚本を頂いたなら、それはまたゼロからのスタート。
きっとそここそが、制作陣にとって楽しいポイントであり、ウデノミセドコロなのでしょうが・・・
わたしはまだ、自身が見せられる腕の本数や質を、全然自覚も整理も出来ていないので、今はまだヒーヒーフーポイントよりですね。

わたしの感覚では、本日はどのシーンでも、お相手とコミュニケーションをとれた気がして、本当に楽しかったです。
最後に幸ちゃんたちのシーンを観て、お稽古である事を忘れて見入るほど素晴らしくて、とっても刺激になりました。
わたしも、演出さんに「面白い」の一言だけをもらえるような場面を、一緒に創りあげていけるひとになりたいな。
いえ、なるぞー!

ひとが脱皮されるすがたには、ほんとうに感動する。
わたしも、「機微」を自覚して、脱皮するぞう。

大川 朝也

大川です。

最近曜日感覚がなくなってます。
金曜かと思えば月曜日だし、土曜かと思えば日曜日だし。

休みを求めて生きているようです。

もう残り1週間です。ラストスパートです。
まだ粗が目立つ部分も見受けられますが稽古でみんなの演技を見る度、シーンの進行度が一歩、また一歩進んできているのが分かります。
劇団員の有志が集まって自主稽古しているとの話も度々聞きます。偉い!

見えてる景色は人それぞれかもしれませんが、1つの目的に向かって一致団結し、1つの作品を作り上げていくのはやはり熱くなるものがあります。

この熱を感じるために演劇をやっている部分もありますね。
1番ではないですけど。
その1番についてはまたいつかどこかで語らせてください。

まあ熱だけで言うと、実は僕はまだ満たされていません。まあそりゃそうかもしれませんが。公演が終わってない内に満たされるなんて只のせっかちさんですからね。
もっともっといけます!いきます!きっとこのラストスパートの週ではこれでもかと言うくらいの熱を感じることができると思ってます。

もう一件。
SNSでも公開されましたが、本公演、とてもありがたいことに満席となりました。

はぁ、すごい・・・😂。
本当にありがとうございます・・・😂

ご期待に添えるようさあもん一同、精進致します!

桜田 燐

本番一週間前。
本番一週間前。
大事なことなので2回言いました。

有難いことにチケットは完売、客席の埋まった状態で本番を迎えられることに見の引き締まる思いでいる今日この頃。

そう、本番は目の前。すぐそこ。あっという間に本番を迎えて気付けば終わっているのかもしれません。
そんなことのないように一日一日の稽古に誠心誠意取り組んでいるわけでありますが。

ふと高校生時代の演劇での本番を思い返していました。

当時演劇部を中退して社会人劇団に入り、実質早々に小演劇界に足を突っ込み、学生演劇と社会人劇団での本番を両方とも経験していることになるわけですが、確かに芝居の質も設備も道具も環境も、お金をお客さんから頂くことに関しても、何もかも違うわけですが、それでもとても似ている点があったように思います。

ご承知の事と思いますが、演劇というのは本番前に必ず(例外あり)ゲネという《お客さんのいない本番》と称した、感覚的に言うとリハーサルに近いものをします。
メイクをして衣装を着て全場面通して音もつけて照明も変わって、本番での緊張を全て先に経験してしまったのではないかというほどの空気に包まれて、本能的に全神経を集中させていたわけですが、あの緊張感ほど楽しいものはありませんでした。
もちろん本番はもっと楽しいです。本番に勝るものはない。
でも思わず唾を飲み込むほどあらゆることに対する緊張と同時に胸踊るものを身に纏っていました。

始まるまでシーン稽古をし、ゲネの一時間前から準備を初め、予定の時刻を迎え照明が付くことによって幕が上がる。照明がつくとそこには脚本の世界を再現された舞台セットが
現れ、私は小道具を持ってその世界に飛び込んでいく。
書きながら心臓が大きく脈打つほどには緊張した(胸が高鳴った)のを身体が記憶しているようです。

これはどの劇のもそうですが、登場した時の、暗闇から一気に光を浴びる、あの照明は今でも鮮明に思い出せます。どの事もつい最近のようにさえ感じられます。

あの緊張感が好きでたまりません。中毒です。あれは合法麻薬と呼んで差し支えありません。(偏見)
個人的には稽古場が常にピリピリしある時突然爆発するのもバッチコイです。甘い物より辛いものにはまる傾向があるやもしれません。

私はそういった『緊張感』を、演劇というドラッグでトップを争うぐらいの醍醐味だと思っています。

前々から疑問に思っていることがあります。
『楽しんで緩く』
『常に緊張感』
どちらがよりひとを成長させるのでしょうか?

私個人の話をするなれば、ステイタス的に割と何でも楽しく感じるので後者になるでしょう。
緊張だろうが大コケしようがなんだろうが自分流というものがあるので何でも自分流に楽しんじゃえばいいじゃんと思うし、私ならそれが出来ると絶対的に自分を信じています。まあ実際出来るし。
それで楽しくなけりゃどこかで歯車を違えた事になります。私なのか外部なのか。あ、極端に解釈するとね。

個人差はもちろんある。
慮ることは出来ても想像することはできても理解することはできても、恐らく分かり合うというのは少し難しい話になってくるかもしれない。

別に何を言いたかったわけでもないですが、要は「張り詰めた空気良き〜☆」って感じです。意味がわかりませんね。タラタラと綴っているうちに完全にゴールを見失いました。

緊張感についてふと考えたので私の感じたものを思い出していました。この身に染み付いていたようです。はいおしまい。

次に思ったのは《言葉》について。

これはこの頃頻繁に思い返しては頭を悩ませつつ結論が出ません。そもそもそんなものないのかもしれないが。

今回の稽古では、代役はいまいちでしたが本役では言葉を喋り相手と通ずるという実感が味わい深く、目が合えばグッとくるものがあります。目は強い。

まあ目の話はまた今度するとして、言葉。

言霊なんていうように、言葉には魂を宿すことが出来る。魂を入れてやらなければ言葉は死ぬ。少し手を抜いても同じ。言葉を殺さぬために一日一日の稽古を誠心誠意取り組んでいるわけでありますが(2回目)

どれだけ向き合っても足りない。向き合いきるなんてことは恐らくないけども。たとえ向き合ったとして、そこからは役者として、人間としての力の見せ所。
何だかこういうと役者ってのは《代弁者》とも取れそうですが、あくまで我々は《当事者》であらねばならない。と、今のところ考えています。

うーん。役者と人間は類義語か?同義語か?
私の言ったことを踏まえるならば同じ意味の違う言葉になるのでしょうか。

当事者になろうとすると《当事者になろうとしてる人》になる。え?なんだそれ。わざわざ自分からおっ被ろうとしているやつみたいだ。

やっている。
なっている。

お。一文字違うと全然違う意味になったぞ。言葉は奥深い。

やっと見つけた。そう、要はこれが言いたい。

演劇とは行動すること。

自分の人生における行動とは?